長拳 螳螂門 吉田 直嗣先生
B-LIFEインタビュー前編
本日は、インタビューの方よろしくお願いします。
台湾から吉田先生と宮崎から尚禮舘平川師範を
そして大阪から伊覇をZOOMで繋ぎ皆様の貴重なお時間をいただきさせて頂きます。
初めに吉田直嗣先生の簡単なご紹介です。
台湾在住24年、沖縄県豊見城出身 小学生の時にから剛柔流空手を学び、中学校の時に父親の仕事の関係で鹿児島に移住。
そこでも全空連(糸東流)を続ける。高校一年生の時に月刊武術(うーしゅう)をみて大阪の螳螂拳の講習会を始めて受けその技に衝撃を受ける。
その後、1996年に台湾に渡り高道生先生のもと10年間の住み込みでの修行し晩年まで師事する。
その激動の武術家人生のお話を聞かせて頂きます。
【今回のインタビューの流れ】
2018年に平川師範が吉田先生と台湾で出会います。
年に数回、吉田先生が平川師範の道場を訪れて交流を深めておりそのご縁があって
今回のインタビューに至りました。
ありがとうございます。
【インタビュー参加者】
長拳螳螂門 吉田直嗣先生
沖縄剛柔流空手道 尚禮舘 平川樹高師範
尚禮舘事務局 代表 伊覇
(沖縄でのセミナー風景/吉田直嗣先生と参加者)
【衝撃を受けた中国武術との出会い】
伊覇:よろしお願いいたします。
まずは、中国武術との出会いから聞かせていただきます。
吉田先生:高校生の時に全空連(糸東流)を習いながらも武術(うーしゅう)という雑誌の裏にあった中国武術の講習会を受けに行きました。
中国武術の講座は割高なので、最初は興味本位で体験として500円のものを受けました。
アルバイトのお金をためて高校はさぼって、大阪城公園で開催していた中国武術の講習会を受けに行ったのを覚えています。
金曜日にいって土曜日、日曜日の夜まで教えてもらい月曜の朝早くに鹿児島に帰ってくるという流れでした。
大したことがなければいかないつもりだったんですが。
その先生は、すごい小柄な先生で身長が150cmぐらいの先生で、細身でゴツくもなくて、それでお酒臭くて(笑)
(吉田先生は身長約180cm)
来るところ間違えたかな?と思ったんですが。(笑)
伊覇:高校生ながらにそう思ったんですね。(笑)
吉田先生:やっぱり500円だったから....来るところ間違えたのかなって思って。
それで先生が「空手か何かしているの?」
「組手の経験はあるの?」ってきかれて。
初めてだと分からないだろうから
じゃあちょっとなんでもいいからやってみようか。といわれて。
【組手で知った螳螂拳の脅威】
吉田先生:最初その先生と組手をやってみると。
螳螂拳の揪腿(しゅうたい)という足払いの技でこかされ頭から石畳に打ち付けられて。
それで、「なんでだろう?」と思って、「もう一度お願いします!」と立ち向かっていきました。
伊覇:次はどうなったんですか?
吉田先生:次は踏撲(とうぼく)という別の技で前のめりに顔面から倒されて。
それは自分の中ですごいショックで(倒されたことで)
伊覇:中国武術に衝撃を受けたのですね。
吉田先生:空手の組手もそんな弱い方じゃなかったので
まさかこんな自分より身長の低いおじさんに倒されるとは。と
それで、即日入門じゃないですけど教えてください。とお願いしまして。
それで螳螂拳にハマってしまって。
それから朝は新聞配達をして、学校が終わったら夜は飲食店でバイトをこなして。
それで6~8万円は自分で使えるお金があったので毎月金土日と大阪の先生のもとに通うようになりました。
それを高校3年間続けました。
伊覇:それを毎月3年間続けたのですか!すごい!
中国武術でも最初に出会ったのが螳螂拳だったのですね。
吉田先生:はい、高校を卒業前に進路の話になった時に
その西先生から今後どうしていきたいの?と聞かれたときに
進学や進路のことも頭にないです、僕がやりたいことは螳螂拳しか頭にないですと話しました。
そう話したら、今度琵琶湖で台湾の老師を招いて講習会をやるから参加してみないか?と言われてそれに参加したんです。
伊覇:その時にお会いしたのが高道生先生だったのですね。
吉田先生:はいそうですね。
(吉田直嗣先生/MASTER NAOTSUGU YOSHIDA)
【高老師との出会い。そして、台湾へ】
伊覇:高道生老師と知り合ったきっかけが大阪での先生からですね。
その後、高校を卒業してすぐに台湾に行かれたわけですがカルチャーショックなどはありませんでしたか?
ぜひその時のエピソードを聞かせてください。
吉田先生:まずは、日本で高老師にお会いさせて頂き卒業したら内弟子として住み込みでお願いしたいとお願いしました。
それから日本の京都の本部の江口先生に紹介状を書いていただきました。
私の師匠(高老師)は中国の山東省の出身でして。
伊覇:確か即墨縣の出身でしたね。
吉田先生:そうです。山東省即墨縣です。中国語も山東語なまりでして。僕が台湾の言語学校で習ってきた中国語では
全く通じず。
先生に言葉が通じない状態が3か月続きました。
最初の三か月のビザが切れる時に高老師から片言で
「明日もの来ますので先生も休んでいらしてください」
と話したら次の日出発の朝、高先生が待っていらして。
言葉もなかなか通じていなかったのでかわいがっていただいているという実感もなかったのものですから。
先生のその心遣いにグッときて。
伊覇:はい。
吉田先生:それからすぐに台湾に帰ってきて。修行させていただこうと思って。
そのあと語学学校のビザで1年ほど滞在して、その後、道場から教練(きょうれん)のビザというを取っていただきました。
(高老師と吉田先生)
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インタビューは後編に続きます。